香川県高松市に生まれた増田能子プロは、香川県を代表するゴルフ界の重鎮の1人です。
香川県高松市にある有限会社シフトの役員幹部として、香川県にある青春ゴルフセンターや東亜ゴルフセンター、香川県丸亀市にある丸亀パブリックゴルフコースなどでレッスンプロとして活躍しています。
その他にも香川県ジュニアゴルフ振興会の代表も務めており、ジュニア生の育成に携わっています。
彼女は18歳からゴルファーとして歩み始め、4年後の1989年には日本女子プロゴルフ協会へ入会し、ゴルファーとして活動を始めました。
元々彼女には才能があったのですが、実は父親である増田光彦と、兄である増田能成はそれぞれプロゴルファーであり、環境も整っていたのです。
プロ2年目となる頃の東鳩レディスゴルフトーナメントへ出場し、17位タイという好成績でフィニッシュします。
翌年には中京テレビ ブリヂストンレディスオープンにて19位タイ、コニカカップワールドレディスでは17位タイと続けて好成績をおさめます。
1992年にはステップアップツアーではありましたが、コカ・コーラカップにて初めての優勝に輝きました。
この年の獲得賞金は600万円を突破し、彼女にとっても最高の記録を残したシーズンとなりました。
1993年以降は徐々に成績を落とし、惜しくも予選を通過できない時期が続きます。
公式戦の出場は2003年が最後になっており、それ以降はティーチングプロとしての活動がメインとなっています。