何回もの挫折のエピソード、そして変わった記録を持っている立山光広選手

プロゴルファー
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1968年生まれ、東京都出身のプロゴルファーが立山光広選手です。
ゴルフを始めたのは15歳の時であり、友人に打たせてもらったことがきっかけでした。
日体荏原高校に進学、卒業後はプロを目指しますが、プロテストで何回も落ちるという経験を持っています。
一時期は会社勤めを行っていましたが、プロゴルファーへの道を諦めきれず再び挑戦し、1996年、28歳の時にプロテストに合格しました。

1998年のフジサンケイクラシックでツアーデビューを果たします。
2000年にはチャレンジツアーの後楽園カップで初優勝を飾り、2000年には初めてシード権を獲得するものの、翌年は調子を落としてしまいます。

この時は一年でシード権を失いました。
しかし、2002年以降は安定した成績を残しはじめます。

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2005年には三井住友VISA太平洋マスターズで優勝争いに絡む活躍を見せる2位となりました。

また、2006年にはアコムインターナショナルで珍しい記録を残すのですが、1ホール最多ストロークであり、パー3のホールで19打という過去最多の打数を記録しました。

2008年までは安定して賞金を稼いでいたものの、2009年にはシード権を無くしてしまいます。
2010年にはレギュラーツアーに復帰、VanaH杯KBCオーガスタで2位を記録する等、順調な一年でした。

2011年も優勝争いに加わった大会はありますが、レギュラーツアーでの優勝には届いていません。
2013年はチャレンジツアーを中心に戦いました。

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