1956年に東京都北区に生まれた増田姿子氏は、11歳の時にゴルフを始めました。
当時としては、それだけ若い時からプロゴルファーを志すことはとても珍しいことでした。
まだプロゴルファーを志す女性は少なく、環境も整っていなかった時代です。
しかも増田氏は1日でも早いプロデビューを目指し、18歳の時にプロテストを突破し、日本女子プロゴルフ協会へ入会します。
増田氏の類まれな才能は、デビューの翌年に結果となって表れました。
徳島新聞社杯争奪女子プロトーナメントで初優勝を飾ると、翌年には大雪山女子オープンでも優勝を飾ります。
惜しくもあと一歩のところで優勝を逃しますが、1980年のシンコークラシック女子プロゴルフトーナメントと、1981年の西海国立公園女子オープンゴルフトーナメント、同年のミヤギテレビ杯女子オープンゴルフトーナメントでは2位でフィニッシュし、トータルの成績は年を追うごとに向上していきます。
そして1984年にはオービックトーナメント、1982年には山陰女子プロゴルフトーナメントで優勝しましたので、公式戦では4度の勝利を記録したことになります。
1981・1982年には年間の獲得賞金順位も8位につけ、バブル経済時期のゴルフブームを盛り上げた1人といえます。
当時の増田氏が得意としていたクラブは、パターとサンドウェッジになります。
例えラフやバンカーからでも正確無比なショットでピン側に寄せると、得意のパターで正確にスコアを伸ばしていくのが、増田氏の必勝パターンでした。
ホールインワンも3度経験したことがあり、どんなホールも柔軟に対応できる実力を持っていたのです。