サンドラ・パーマーさんは、アメリカ合衆国のテキサス州出身の女子プロゴルファーで、13歳の時にクラブを握っています。
プロに転向する以前の北テキサス大学に通っている頃には、ミスコンテストの女王にも選ばれる程に、容姿も優れていた方でもあります。
そして、この頃はゴルフよりもむしろ、水泳に夢中になっていたと言われています。
そんなサンドラさんがゴルフ一辺倒になった背景には、パティ・バーグという方との出会いが大きく関わっています。
この時代は、まだゴルフ競技が今のようにメジャーにもなっていなかったために、パティさんは、アスリート達のスカウトに奔走しています。
例えば、後に有名になるサンドラ・パーマーさんは水泳のアスリート、キャロル・マンさんは陸上競技、ホリス・ステイシーさんはバスケットボールのアスリートでもあったのを、フロリダにあるパティさんの自宅に寄宿させながら、プロゴルファーとして鍛えた後、米女子ゴルフ界に送り込んだといった経緯があります。
そうした背景の元で、1964年にサンドラさんはプロに転向をしています。
彼女のプロに転向後の成績については、元々アスリートでもあったために、その並外れた身体能力の高さ故に、ツアーでは通算19勝をあげるような成績を収めています。
例えば、1972年に開催されたタイトルホルダーズ選手権や、1975年に開催された全米女子オープンにおいて、2勝をしています。
さらに1975年には、賞金女王とLPGAプレイヤー・オブ・ザ・イヤーのタイトルも獲得しています。
その後も1968年から1977年までの10年間において、賞金ランキングベスト10入りを果たしています。