佐々木マサ子らが作った日本の女子プロゴルフ

プロゴルファー
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佐々木マサ子は日本女子プロゴルフ界の創成期に活躍した往年の名選手で、1944年生まれで岩手県紫波郡の出身です。
17歳からゴルフを始めて、23歳の1967年に日本女子プロゴルフ協会の1期生としてプロデビューしています。
デビューした直後から好成績を収めており、樋口久子らとともに日本の女性ゴルファーの歴史を作っていった選手の1人といえる存在です。

賞金ランキングにおいては、1975年までの8年間は1桁台を守り続け、一旦20位台に落ちたことがありますが、1980年には再び8位にまで上げています。

44歳となる1988年まで年間30前後のツアー大会に出場を続け、まさに、女子プロゴルフそのものを日本に作り上げ、それを認知させることに貢献してきた存在です。

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当時は無敵の女王として樋口久子が君臨していましたが、彼女の公式戦連勝記録を1972年の「日本女子オープン」において破ったのが、佐々木マサ子でした。この時は3位となった樋口よりも4ストローク上回っての優勝です。

佐々木や樋口は、アメリカのツアーにも参加して、日本ではまだ始まって間もなかった女性の職業ゴルフの団体としての運営や大会の演出、服装やライフスタイルまでも学んできたと言われています。

この時に持ち込まれたさまざまな要素によって、華やかで力強いスポーツとしての魅力がしだいに広まっていき、その後の女子プレイヤーの認知度アップやファンの獲得に繋がっていったのでしょう。

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