鈴木規夫選手は全英オープンで首位に立ったことで注目を浴びた

プロゴルファー
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鈴木規夫選手は1951年生まれ、香川県出身のプロゴルファーです。
1972年にプロテストに合格しました。プロ転向の翌年のミズノプロ新人で優勝し、実力を見せつけます。
常に攻撃的なスタイルでプレーし、九州の若鷹という異名で呼ばれることもありました。
1974年から1979年まで、九州オープンゴルフ選手権競技を五連覇するなど目覚ましい活躍を見せましたが、鈴木規夫選手の名を知らしめるきっかけとなったのは1976年の全英オープンです。

本戦の初日終了時点で首位に立ち、世界中の注目を集めました。
結果は10位であり、日本人としての最高記録を更新することとなります。

海外の大物選手が参戦し、日本人が勝利することすら稀であった太平洋クラブマスターズを1979年、1980年に連覇する等、飛ぶ鳥を落とす勢いの選手でした。

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1982年まではこの勢いが持続しますが、1983年にはシード権を失っています。
1983年の5月に急性肝炎で倒れたのが原因です。

この時はすぐに復帰できたものの、それ以降は以前のような勢いはなくなり、1982年の全日空札幌オープンを最後にレギュラーツアーでの優勝はありません。

1995年の出場がレギュラーツアーでの最後の試合です。
2003年にはシニアツアーに参戦していますが、大きな結果は残しておらず、試合に出ることはほぼ無くなりました。

その後テレビ中継での解説や若手の育成といった仕事を多くこなしています。
後に日本ゴルフツアー機構理事になり、運営の一員としてゴルフ界を牽引している選手です。

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