羽川豊選手は1957年生まれ、栃木県出身のプロゴルファーです。
専修大学に進学し、大学在籍中に全日本大学学生リーグで優勝しました。
羽川豊選手はゴルフでは非常に珍しい左打ちの選手であり、大きな注目を浴び、1980年には当時の新記録を叩き出しプロテストに合格しました。
ツアープロになってから間もなく、1981年に大活躍を見せます。
日本のメジャー大会、日本オープンゴルフ選手権競技、ゴルフ日本シリーズでともに勝利し、この年賞金ランキングで8位を記録しました。
1982年には、前年の活躍からマスターズ・トーナメントに招待され、15位を記録します。
この時には現役で最高のレフティであると大きな賞賛を受けました。
1983年には東北クラシックで優勝と順調に活躍を見せますが、1984年にはシード権を失ってしまいます。
多くのゴルファーが悩まされる運動障害、イップスを発症したこともあり、長く低迷しました。
1988年にはジャンボ尾崎こと尾崎将司選手を中心とするジャンボ軍団に加入し、この年にシード権を再び獲得します。
1991年にはインペリアルで1983年以来のレギュラーツアー勝利を上げました。
その勢いのまま、翌週のダイドー静岡オープンで二週連続の優勝を飾ります。
この年は賞金ランキング8位を記録し、1981年に自身が記録した最高位に並びました。
しかしイップスが完全に治ったわけではなく、2000年の日本プロゴルフ選手権を最後にトーナメントへ一切参加していません。
その後、2008年にはシニアツアーに参戦、2011年にシニアツアーで優勝しています。