安田春雄選手は1943年生まれ、東京都出身のプロゴルファーですが、15歳の時からゴルフを始めており、中村寅吉選手の一番弟子としても知られています。
1962年にプロテストに合格し、18歳でのプロ入りは当時の最年少を記録したのです。
1968年の中日クラウンズで初優勝を飾りました。
1969年には海外のフィリピン・オープン、1971年にはシンガポール・オープンで勝利しています。
1960年代後半から1970年代にかけて特に活躍し、河野高明選手、杉本英世選手とともに和製ビッグ3と呼ばれていました。
ゴルフ界に賞金ランキングが導入され、システムが大きく変わる前に9勝を上げる活躍を見せます。
1973年以降にも東京チャリティクラシック、東北クラシック等で勝利を上げました。
1980年には国内メジャー大会の日本プロゴルフマッチプレー選手権、仙台放送杯東北クラシックで勝利しています。
1984年の三菱ギャラントーナメントでも優勝し、制度の変更後のレギュラーツアーで6勝、それ以前の記録も含めると国内通算15勝を達成した選手です。
1983年のKBS瀬戸内海オープンでは、プレーオフを放棄して帰ってしまったというエピソードを持っています。
ホールアウトの時点でトップと四打差の二位につけていました。
しかし四打差がひっくり返ることはないと判断したのか、トップの選手の結果を見届けることなく帰ってしまい、結果的には四打差が無くなりプレーオフになるのですが、既に会場にいなかった安田春雄選手は不戦敗という扱いになりました。