中溝裕子 難病と骨髄移植を乗り越えた女子プロゴルファー

プロゴルファー
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中溝裕子プロが、骨髄異形成症候群という難病を発症したのは1991年のことでした。
当時、中澤プロはプロゴルファーとして活躍中で、まだプロに転向してから3年目のことでした。
成績も上昇中であり、上位入賞や優勝を目指せるプレイヤーとして充実した時期のことでした。
中溝プロは元々健康的かつ努力家の選手で、どんな選手よりも練習に打ち込んでいました。

検査の結果、幸運にも妹から骨髄提供を受ければ治癒できる、ということが判明したのですが、手術を受ければゴルフができない体になってしまうという点と、妹に負担をかけたくないという思いから骨髄移植を拒否します。

しかも翌年から輸血を受けながらプロゴルファーとして活動を再開し、メジャートーナメントにも出場を続けました。
この時期、医者からは一切のスポーツを禁じられていた、と言われています。

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そんな闘病生活を1995年まで続けました。
難病の宣告を受けた日から6年後、中澤プロは限界を迎えます。

体の中で血液を作れない状態になったのです。
家族の励ましを受けて骨髄移植に踏み切るのですが、長く苦しい闘病生活は終わりませんでした。
骨髄移植の影響で、3年間は物を食べることができず、退院後も2003年まで自宅での点滴療養が続きました。

快復後は様々な講演に参加し、女子ゴルフ界を裏側から支える役目に回っています。
チャリティーコンペなどのゴルフにも参加し、その姿には沢山のゴルフファンの喝采を浴びることになりました。

現在は骨髄移植推進財団の評議委員を務めており、難病を乗り越えたプロゴルファーとして講演会などで活躍しています。

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