アメリカのミズーリ州スプリングフィールド出身のホートン・スミス選手は、1934年に創設されたマスターズトーナメントの栄えある第1回大会の優勝者であり、さらに2年後の1936年にもみごと優勝果たした名プレイヤーです。
PGAツアーで通算28勝、世界各国の国際試合で7勝を挙げるなど、通算37勝を記録しました。
クラブの一種であるサンドウェッジを、初めて競技大会で使用したプロゴルファーとも言われています。
ホートン・スミス選手は、12歳からゴルフを始め、故郷のミズーリ州で、アシスタントプロとして技術を磨きました。
1934年、オーガスタ・ナショナル招待選手権が創設され、この大会のために「オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ」がジョージア州オーガスタに建設されます。
第1回大会は3月に行われ、スミスプロは最終ラウンドでクレイグ・ウッド選手を1打差で逃げ切って、4アンダーパーで優勝を飾ります。
第2回マスターズではジーン・サラゼン選手が優勝し、スミス選手は19位タイに終わりますが、1936年の第3回大会で2年ぶり2回目の優勝をみごと果たしました。
スミス選手の他のメジャー大会成績は、優勝こそないものの、全米オープンで1930年と1940年の3位、そして全英オープンで1930年の3位の好成績を残しました。
現役引退後は、アメリカPGAツアーで競技委員を務め、1952年から1954年までツアーの会長も務めています。
しかし、1963年に55歳の若さで逝去しました。
没後の1990年に世界ゴルフ殿堂入りを果たしています。